本記事は、ぼくは2022年12月28日(水)に「Live Like A Cat(LLAC)」というNFTをミントして感じたことを書き綴っているだけの無益なブログ記事です。
自分の中で起きた変化を出来るだけ早く「言語化しておきたい」、「記録してせねば」と思いミントした翌日に書くことにしました。
ちなみにLLACはミント直後に2ETHを超え、本記事を執筆している時点での価格も2.2ETHと1体36万円を超えるバケモノのようなNFTです。
記事の信頼性

仮想通貨の投資歴、2017年から約6年。
脱サラして農業で独立する資金を仮想通貨投資や副業で貯めました。
2022年2月にNFTを初購入。その後、CNPホルダーとなりNFT沼にハマる。
LLACのミントとOpenseaでの2次の価格推移
LLACのミントは2022年12月28日(水)の正午ちょうどにスタート。
ぼくは農作業中でしたが、ちょうど昼休みに入るタイミングなので、早めに車に移動してLLACのファウンダーのしゅうへいさん、いけはやさん、けいすけさんのTwitterスペースでの放送を聴き始めました。
「どうせミントサイトにアクセスが殺到するだろう」と思っていたので、自分は時間をおいてからミントすると決めていました。
そして自分のミントより大事なことがありました。
それは2次で流通するLLACを拾うこと。
ぼくはLLACで付与されると言われているクラーケンロール(LLAC22体保有者に与えられる)とイケハヤ仮想通貨ラボ(通称ICL)のαグループに入る権利が欲しんです。
そのために7ETHをメタマスクのウォレットに前日のうちに移しておきました。

万が一のため、取引所にすぐに送れるように20万円も用意して。
結果、LLACの価格はいきなりの2ETH、その後も1.8~2.0ETH(36万前後)付近を行ったり来たり。
これでは到底クラーケンロール(22体)をゲットするためには資金が足りません。
失意の中、とりあえず自分のミントを優先することに決め、7体もらっていたALの権利を行使してミントしました。
ミントサイトが重かったり、OpenseaでLLACの画像が表示されづらいこともあり、一旦時間をおくことにして、他のことをして夕方、家に帰りました。
その後、夕方~翌日の朝にかけても何度かOpenseaを見返しましたが、2~2.2ETHの価格からLLACが落ちることはありませんでした。
LLACをミントしてから24時間でぼくに起きた醜い変化
正直、ミントをしてから最初にぼくに起きた変化は至極普通の変化だけでした。
それは、
- ミントできて嬉しい!
- 価格が凄い!
- かわいい猫の画像だなぁ~
というもの。
複雑だったのは、クラーケンやICLαのために買い増しをしたいのに、高すぎてぼくの予算では足りないこと。
下がって欲しいのか、上がって欲しいのか……。
都合のいいことを言うと、まずは0.5ETHくらいに下がって、ぼくが買い増してから、将来上がって欲しいという思い。
でも翌朝です。ぼくの中で圧倒的な変化が起きたのは。
翌朝、なにげなくOpenseaでLLACの価格を見ているときに「分析」という項目を覗いてみたときです。

分析ではLLACの価格推移、取引量などのデータが見られるのですが、同時にLLACの保有量トップ100位までの人も参照できるんです。
そこを見ると、ぼくの知った人がチラホラ。
「うん、この人はそうだよな」、「うんうん、貢献度が凄いもんなぁ~」とか。
しばらく楽しく眺めていたのですが、途中で「うん?なんでこの人が?」、「あれ、この人多いなぁ~」などと羨ましいやら、納得いかないやら、自分の中でイヤな感情が湧いてきたんです。
「とても醜い感情だな」と思いました。
でも正直、今でもその気持ちは残ってます。
自分には過分な7枚ものALをもらっているにも関わらず。。。
自己嫌悪になりそうです。
でも、そこで気づいたんです。
こんな感情を自分が持っているということに気づかせてくれた鏡のような存在にLLACがなっているということに。
ユーティリティという表現ではとても陳腐過ぎますが、なにか自分を見つめるキッカケを与えてくれる、そんなNFTなんだなと感じました。
これから、この自分に湧いてきた醜い気持ちとLLACと共に向き合っていこうと思います。
LLACはただの画像ではない
LLACというNFTはただの画像ではありません。
少なくとも、ぼくにとっては確実に。
ただの画像がぼくにこんなにも深く考えるキッカケをくれるわけがありません。
実際、100以上のNFTを買っていますが、このような感情になったことはないです。
唯一の例外は、はじめて買ったNFT。
そのときだけは、変な気持ちが起きました。
はじめてのNFTはぼくに、単なる画像を買っただけなのにモノを買ったときのような所有感をくれたんです。
全然違いますが、そのとき以来、NFTによって引き起こされたぼくの中での感情の変化でした。
いや、今までも感情は変化していたけど、それに意識が向くことがなかったんだと思います。
LLACは、そのキッカケをぼくにくれた。
ICL内では、LLACを持つことによる心の変化やモヤモヤについて、みんなでとても建設的な意見が交換されています。
単なる批判的な意見は皆無で、みんな心に抱えた違和感を絞り出すように言葉をまさに紡いでいます。
本記事はサーっと、いま感じていることを一筆書きで書きましたので、読んでくれる人のことを考えて表現ができていません。
でも、そんな生の感情をそのまま吐露することが、なにか意味があるかもしれないと思い、書いてみました。
もし最後まで読んでくれた方がいたら感謝です。
「LLAC」とても不思議なNFTです。
持つ人の歴史、環境、感情などによって、悪魔にも天使にもなる、そんなNFTなのかもしれません。